親愛なる 天野可淡さんへ
給親愛的可淡
 
秋山まほこ[人形作家]
  
 
 私が心から信頼し、尊敬していた人形作家、天野可淡さんが、突然の交通事故で亡くなられてから、もう17年経ちました。
  

 自我打從心底信賴、尊敬的人形作家-天野可淡,因突然的交通事故逝去之後,也已經過了17年了。
  

 否応無しの、別れの悲しみのさなか、私自身も、火の不始末から起こしてしまった火事で、二度と戻らない大切なものを全て失ってしまいました。その後、人形の活動を休止し、夫の仕事に伴って、東洋と西洋が不思議に混ざり合う異国の地、香港で人形制作とは無縁の歳月を送りました。思っても見なかったことが次々に起こり、そのひとつひとつと向き合いながら、ようやくその山をのり越えて今に至っています。
 

 而在承受突然離別所帶來的傷痛之餘,我也曾因為自己不小心而引起的火災,失去了全是無法替代,且非常寶貝的東西。在那之後,我停止了人偶製作、陪伴丈夫的工作,來到了混合東洋與西洋風味、不可思議的異國之地-香港,並在那裡過了一段與人偶製作無緣的歲月。想也沒想過,見也沒見過的事情一一發生,在面對這些的過程中,我終於慢慢走出了傷痛。 
 
 あのとき中学生と小学生だった、可淡さんの二人の娘さん、鈴美さんと麻衣さんも、成人された立派に独立し、お会いするたびに可淡さんの面影がどこかに感じられ、可淡さんと過ごした7年間の思い出が、心の中にまるで昨日のことのように蘇ります。
  

 可淡的兩個小女兒,當時還是初中生和小學生的鈴美和麻衣-現在已經是一表堂堂的大人了,非常的獨立,見面時總好像在哪裡感覺到可淡的影子,而和可淡一起共度七年間的回憶,也在心中好似昨日發生的事般,慢慢的湧現出來。
  

 私が可淡さんに初めて出会ったのは、可淡さんが、渋谷 RARCO.VIEWで個展を開いていた1983年のある冬の日のことでした。可淡さんは、少年のようなほっそりした体で、飾られている人形たちを見守るように、静かに文庫本を読んでいました。
  

 我第一次見到可淡,是她在渋谷 RARCO.VIEW 開個展的時候,那是個1983年冬的某一天。像少年一樣纖瘦的身形,可淡好像守護著那些裝飾著的人偶一樣,安靜的讀著文庫本。
  

 カタンドールは、悲しみをたたえた、吸い込まれるような瞳、その奥に秘められた果てしない闇と神の一筋の光、迫り来る緊迫感、何かを必死で求めている真っ直ぐな眼差し、私の心の中に語りかけ問いかける、心の存在する人形たち。
 

 可淡的人偶有著蘊含了深沉悲傷的深邃眼眸,眼神中更蘊含著無底的黑暗,以及黑暗中射下的一道莊嚴神聖的光芒,醞釀出一種直逼人心深處的緊迫感,而她們就是以這種拚命冀求某種事物的眼神正視著我,跟我的心說話,丟出問題讓我思索,她們就是這麼樣一群有著人心的人偶。
 
 私のそれまでの人形観とはまるで違う、そんな人形を産み出した作者が、その時、気さくに優しげに私に話しかけてくれました。この時の出会いが無かったら、私の人形制作に対する姿勢も今とは違うものになっていたでしょう。人形への慈愛も表せなかったかも知れません。
  

 這和我一直以來的人偶觀全然不同,創造出那樣的人偶的作者,那時,非常親切的過來和我說話。若沒有那次的相會,我對製作人偶的態度也會變的和現在不同吧。對人偶的慈愛無法表現出來也說不定。
  

 その後、可淡さんには、とても親しくして頂いて、昭島にあるアトリエにお邪魔したり、吉田良さん、可淡ちゃん、幼かったおおちゃん(あの頃の呼び方のままで…)、まいちゃん達と川へキャンプに行ったり、プライベートな楽しいお付き合いをさせて頂きました。
 

 在那之後,變得和可淡十分要好,時常到位在昭島的工作室打擾,還有和吉田良先生、可淡、還很小的小岡(那時候的叫法)、麻衣等人一起到河堤邊露營的愉快時光。
 

 とりわけ思い出深いのは、お互いの人形を取り替えたことです。私の人形は「看護婦さん」、可淡さんの人形は「おきんちゃん」といいました。おきんちゃんは、今は天国で、可淡さんと一緒にいます。赤い着物を着て、金色の美しい瞳の、大変可愛らしい女の子でした。
 

 至於印象最深的回憶,則是兩人互相交換人偶的事。我的叫做「護士小姐」,可淡的則是「小金」。小金現在在天國陪著可淡。是個穿著紅色的和服,有著美麗的金色瞳孔,非常可愛的女孩子。
 

 可淡さんがトレブィルから『KATAN DOLL』を出版した頃、私の『Ange』も出版されました。これは可淡さんの縁で実現したものです。そして再び、2004年、エディシオン.トレブィルから私の2冊目の作品集『ある瑠璃色の夜、金魚楼に かれし乙女たちは』を出版して頂きました。一方、とても親しかった可淡さんの作品集が、絶版になったまま静かに眠り続けていることを思うと、大変残念でなりませんでした。ひたすら可淡さんの本が、復刻されることを祈る日々が続いていました。
  

 可淡在トレブィル出版『KATAN DOLL』的時候,正巧我的『Ange』也出版了。這是實現了和可淡的緣分。再來是2004年,我在エディシオン.トレブィル的第二本作品集『ある瑠璃色の夜、金魚楼に かれし乙女たちは』也出版了。然而另一邊,想到和我很要好的可淡的作品集只能安靜的沉睡著就此絕版,實在感到非常的遺憾。而我只能日日夜夜、一心地祈求著可淡的作品再次復刊。
 

 そしてついに、20年近い歳月を経て、あの作品集たちが装いも新たに復活し、数々の名作を生み出した人形作家天野可淡が私たちの前に蘇ったのです。自分の作品集の出版にも増してこの喜びを私は抑えることが出来ません。
 

 接著,在經過了將近20年的歲月後,這些作品集終於重新裝訂復活,孕育出無數名作的人形作家天野可淡在我們的眼前甦醒。這份令我無法壓抑的喜悅,比自己的作品集出版還讓我雀躍。
 
 この新しい作品集は、これから更に多くの人々の心の中に深く浸透し、愛されていくことでしょう。
 

 這本新版作品集,今後必定會滲透到更多人的心中,並被愛著的吧。


 天野可淡さん、そしてカタンドールよ、永遠に!

 願天野可淡以及可淡人偶永垂不朽!



   
※編集部註:『KATANDOLL fantasm』所収。(p15、17、73の人形)
 

 
 
本篇訪談出自2007年12月24日再版的『KATAN DOLL RETROSPECTIVE』

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